廃屋はネタによろし

ノースカロライナ州って、けして裕福じゃないです。詳しい比較は専門家(ウチに一人棲息してるような気もするが)にお任せするとして、医療保険が買えないレベルの収入の人が人口の数割(数%じゃなく)、とか...貧富の差、という話でもあるわけですが。
実際、ちょっと走って街道から横道に逸れると、いくらでも廃屋があります。荒れるがままに任せてあって、日本の感覚だとかなり異様です。もっともこれは、貧富云々だけでなく、廃屋取り壊さなくても土地なら余りあるから、て事情も絡んでるかもしれませんけども。



それでも道沿いの廃屋の場合は、"No Trespassing(侵入禁止)"の貼り紙がしてあったりして、なにがしか管理されている印象があります。
こんな具合。



ところが本日、鳥撮りのつもりで出かけた河原で見つけてしまった廃屋は...
いいかげん街外れだってこともあるんでしょうが、貼り紙もなにもなく、荒れ放題崩れ放題。
物理的にも危険はあったわけですが(煉瓦が今にも...)、住み着いてる人がいてラリっちゃってたりするとおっかないなぁ系の危険も、なきにしも。


しかしやはり、撮ってしまう...とりあえず、ざっと眺め渡した中からいくつかピックアップ。まだ第一現像の段階なんで、この先どれが残るかわかりませんが(なんせ150枚ほどあるし)...




こういうもの撮るときって、いつも以上に、感覚的なものと理性的なもののバランスがフル回転します...そこに向かわせるのは感覚だけれど、選び取るのは理性だ、てな具合で。なんだかよくわからん言い方ですが。
たとえば一番下の壁の写真なんかだと、さしあたっては寄るのか引くのか...どっちにせよ方法論的な処理も入ってくるし、一方でまた、その処理があざとくないようにとどめる感覚も必要でしょうし。
引いた絵があれなら、じゃぁ寄ったとしたら、
 
どっちなんだぁ、とか。



撮影現場でのとっさの発想とかプランニングとかって、やっぱりその緊張感がたまりません。せめぎあったりするわけですね、いろんな要素が。理性と感覚、縦と横、引きと寄り、裏と表...などなどなど。
んであとは、おうちでゆっくり...なんなら一杯やりながら、選択と調整現像にかかるわけです。

そらま、一週間くらいはかかるべさ、てなもんで。



さぁてそんでもって本日月曜日はオーケストラのリハの日であったことよ
わを。ムスメお迎えまであと一時間を切ったっ...わたわたわた(^^)(^^)(^^)